吃音者の論理的思考法
吃音者が論理的思考を駆使して、世界常識を覆していくブログ
吃音とハゲは遺伝する
俺は吃音とハゲは遺伝すると主張する人間の一人だ。
とくに吃音については、倫理的に遺伝の可能性が否定されている。
吃音者の子供は吃音者になる。
それを親が知ると精神的な苦痛を伴うのがその理由だろう。
だが事実を掻き消したままで健全な状態だと言えるのだろうか?
嫌!言えない。
正しいことを正しいと言う姿勢こそが吃音治療のこれからを担う若者たちへの力になるのではないだろうか。
そしてそれが俺たち吃音者に恩恵をもたらすのは言うまでもない。
だから吃音者は声を大にして言わなければいけない。
「吃音は遺伝する」と。
例えあなたが傷ついたとしても、あなたの子供が傷つく可能性を少しでも減らせるのだから。
そして次はハゲの遺伝問題だ。
俺自身もハゲている。
いわゆる若ハゲというやつだ。
ただハゲは吃音と違うことろがある。
それはハゲの遺伝は科学的にもエビデンスにより立証されており、世間的にも認知されているからだ。
http://www.nhtjapan.com/more/mechanism/inheritance.html
つまりハゲは隠されていない。
ハゲはオープンなのだ。
しかしハゲも吃音と同様に遺伝すると分かれば、その親は苦悩するだろう。
それなのになぜハゲは遺伝すると認知されているのか?
そこには歴史的な深い理由があるに違いない。
しかし今はその理由を調査する段階に無いことは、このブログの読者の方なら理解してくれるのではないだろうか。
http://usuge.big.ph/
とくに吃音については、倫理的に遺伝の可能性が否定されている。
吃音者の子供は吃音者になる。
それを親が知ると精神的な苦痛を伴うのがその理由だろう。
だが事実を掻き消したままで健全な状態だと言えるのだろうか?
嫌!言えない。
正しいことを正しいと言う姿勢こそが吃音治療のこれからを担う若者たちへの力になるのではないだろうか。
そしてそれが俺たち吃音者に恩恵をもたらすのは言うまでもない。
だから吃音者は声を大にして言わなければいけない。
「吃音は遺伝する」と。
例えあなたが傷ついたとしても、あなたの子供が傷つく可能性を少しでも減らせるのだから。
そして次はハゲの遺伝問題だ。
俺自身もハゲている。
いわゆる若ハゲというやつだ。
ただハゲは吃音と違うことろがある。
それはハゲの遺伝は科学的にもエビデンスにより立証されており、世間的にも認知されているからだ。
http://www.nhtjapan.com/more/mechanism/inheritance.html
つまりハゲは隠されていない。
ハゲはオープンなのだ。
しかしハゲも吃音と同様に遺伝すると分かれば、その親は苦悩するだろう。
それなのになぜハゲは遺伝すると認知されているのか?
そこには歴史的な深い理由があるに違いない。
しかし今はその理由を調査する段階に無いことは、このブログの読者の方なら理解してくれるのではないだろうか。
http://usuge.big.ph/
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吃音とは一体何なのか?
いきなりだが難しい問題に取り組んでみようと思う。
吃音とは一体何なのか?
哲学的にも医学的にも価値のあるイシューではないだろうか。
一発目に相応しい難題だ。
吃音とは、最上級の褒め言葉だ。
なぜなら吃音は、心優しい者だけがクラスチェンジするのを許された、聖なる属性だからだ。
一般的に吃音は恥ずかしいと言われている。
多くの吃音者がそれを必死に隠し、辛い生涯を送っている。
世間では、吃音=恥なのだ。
とある国の調査によれば、吃音者は人口の1%と言われているが、その存在が確認されているのは、吃音者全体の10%にも満たないという。
それほどまでに吃音を隠したがるのは何故なのか?
それは吃音者が心優しいからだ。
例えば、自分の欠点を他人にさらけ出すのは、誰にだって抵抗があるだろう。
これは吃音者にとっても同じだ。
吃音をさらけ出すのは抵抗がある。
しかし、吃音者と非吃音者には大きな違いがある。
吃音者は他人のために欠点を隠そうとし、非吃音者は自分のために欠点を隠そうとするからだ。
他人のために自分を犠牲にできるのは、心優しい者だけだ。
そのため、吃音者は心優しいと言える。
かつて自分も、どもって場が凍ってしまうのを申し訳ないと感じ、吃音を封印した過去がある。
まるでカタツムリが自分の殻に閉じこもるように・・・。
しかし、吃音者だけではなく、非吃音者にも心優しい人がいるんじゃないだろうか?
たしかに、非吃音者にも心優しい人は少数ながら存在する。
ただ、吃音者の心優しい確立に比べると圧倒的に見劣りしてしまう。
吃音者が心優しい確立が高いということは、吃音者に悪い奴はいないということになる。
それゆえ、吃音は最上級の褒め言葉と言える。
吃音とは一体何なのか?
哲学的にも医学的にも価値のあるイシューではないだろうか。
一発目に相応しい難題だ。
吃音とは、最上級の褒め言葉だ。
なぜなら吃音は、心優しい者だけがクラスチェンジするのを許された、聖なる属性だからだ。
一般的に吃音は恥ずかしいと言われている。
多くの吃音者がそれを必死に隠し、辛い生涯を送っている。
世間では、吃音=恥なのだ。
とある国の調査によれば、吃音者は人口の1%と言われているが、その存在が確認されているのは、吃音者全体の10%にも満たないという。
それほどまでに吃音を隠したがるのは何故なのか?
それは吃音者が心優しいからだ。
例えば、自分の欠点を他人にさらけ出すのは、誰にだって抵抗があるだろう。
これは吃音者にとっても同じだ。
吃音をさらけ出すのは抵抗がある。
しかし、吃音者と非吃音者には大きな違いがある。
吃音者は他人のために欠点を隠そうとし、非吃音者は自分のために欠点を隠そうとするからだ。
他人のために自分を犠牲にできるのは、心優しい者だけだ。
そのため、吃音者は心優しいと言える。
かつて自分も、どもって場が凍ってしまうのを申し訳ないと感じ、吃音を封印した過去がある。
まるでカタツムリが自分の殻に閉じこもるように・・・。
しかし、吃音者だけではなく、非吃音者にも心優しい人がいるんじゃないだろうか?
たしかに、非吃音者にも心優しい人は少数ながら存在する。
ただ、吃音者の心優しい確立に比べると圧倒的に見劣りしてしまう。
吃音者が心優しい確立が高いということは、吃音者に悪い奴はいないということになる。
それゆえ、吃音は最上級の褒め言葉と言える。